週刊現代の医療記事をめぐる騒動

いま、巷では週刊現代の「ダマされるな!医者に出されても飲み続けてはいけない薬」をめぐって、取材を受けた医療者や、文春、週プレなどが厳しく批判を展開している。
仮に指摘されているように、コメント内容の主旨を変えて構成したり、電話でさらっと聞いただけで取材したアリバイとしているならば、明らかに問題だ。
週刊現代や記事を書いた人間を擁護する気は、全くない。

ただし、国民の中には、医療に対する不信感が広がっているのも事実である。
週刊誌の記事がなくても、京都府立医大などがデータを改ざんしていた高血圧治療薬・ディオバン事件や、向精神薬をめぐる議論などの報道があるので、現代医療に対する疑念が生じて当然だろう。

また、取材を受けた医療者がご自身のブログにおいて、(記者の)都合が良いように部分部分をつないで、本意とは異なる主旨でコメントしたかのような記事になっていたと主張しており、掲載前に記事を自分に査読させなかったのはありえない、と記述している。
これについては、報道に関わる者として意見を述べたい。

「査読」とは、研究者の論文を第三者の専門家が査定、評価することであって、週刊誌や新聞テレビなどの報道を事前に第三者が「査読」することはない。(リスク管理として、報道機関の顧問弁護士が報道前にチェックする場合はあるが、これは内部関係者にあたる)
現在、私自身が「歯科治療」をテーマに連載記事を書いているので、取材させていただいた歯科医等から事前に記事の内容確認を求められることも多いが、「原則的」にお断りしている。
特に公的な機関が、報道内容を事前に確認して修正を求める事は、憲法で保証されている表現の自由を侵害する行為とみなされ、重大な問題となる。
報道には各々の「視点」があり、研究論文とは異なるものだということを理解していない方も多い。

ただし、「原則的に」としているのは、医療の専門性が高い分野で正確性が問われる場合、コメント内容が微妙で解釈が分かれる場合などで、取材対象者に確認を求めることがある。
限られた紙面や放送時間では、長時間のインタビューからエッセンスが凝縮されている言葉を的確に抜き出す作業が必要となる。その時、作為が無くても、取材対象者の期待する部分と、報道する側が重要視する部分が重ならないことはあり得る。

問題となっている週刊現代の記事は、「全身麻酔には重い合併症になるリスクがある」と取材を受けた医療者が警告しているニュアンスの内容だったが、この医療者が伝えたかった主旨は次の内容だったという。

「全身麻酔の重大な合併症を防ぐ為に、プロの麻酔科医がついているので安心してほしい。
喫煙者は全身麻酔のリスクがあるので嘘をつかずに申告すべき。
8週間禁煙すればリスクは低減する。
老人の場合は全身麻酔ではなくても、術後にせん妄状態になることがある(要旨抜粋)」

医療者がインタビューで上記のとおり話したのならば、真逆のニュアンスになっている現代の記事は、都合良くねつ造されたと批判されても仕方がない。

追記
私は必ずインタビュー取材は、動画で撮影しており、週刊誌の記事に反映するコメントはダブルチェックしている。
それでも、取材相手からコメントした内容と異なる数字が記事になっている、と指摘を受けたことがあった。
複数のスタッフが何度聞き返しても、その数字にしか聞こえなかったが、このような場合はご本人の主張を尊重するべきだ。
だから週刊現代の騒動は、決して他人事ではないと思っている。