「正しいことを続けよう、それだけでいい」

高野英夫先生が住んでいたログハウス
病院脇に建てたログハウスで寝泊まりしていたという高野英男医師。急変があればすぐに駆けつけた。(C)M.IWASAWA

明日、世界が滅びるとしても、私はリンゴの木を植える

高野英男医師(享年81)の生き様を知った私は、この言葉を思い浮かべた。 「避難せずに残った高野病院に対して、周囲から批判も起きました。そんな時に、院長(父)は、口癖のようにこう言いました。 正しいことを続けよう。それだけでいい」
病院事務長として高野医師を支えてきた、次女・己保さんが、当時の状況を教えてくれた。

2011年3月当時、福島県広野町の全町民が避難となっても、高野医師は患者を移動させるのは危険だと判断。その地に残って、現在まで患者を守り続けている。
これがいかに勇気がいる行動であったか、現地にいるとよく分かる。
高野病院は福島第一原発から約22キロの距離に位置するが、その手前には福島第二原発もある。メルトダウンした原発が、すぐ背後にある感覚だ。

高野英夫先生の白衣
白衣には煤が付いていた(C)M.IWASAWA

病院のすぐ脇に建つログハウスで、一人暮らしをしていた高野医師。
365日24時間体制で入院患者と向き合い、時には救急搬送に対応するためだった。
この日、己保さんが高野医師の遺品を整理していた。
火災で黒いススが付いた白衣を広げる。
「着るものに無頓着な人でした。普段着はユニクロのTシャツでしたね」

高野医師が急逝して、病院は存続の危機にある。 福島県の担当者は、第一回の話合いでこう発言したという。 「双葉地域の医療と高野病院のことは別です」 そして地元紙に、民間病院を県が支援するのは異例、と書かせた。

私のFBには医療者と思われる人物が「どうして個人に税金を使うのですか」と書き込んだ。
しかし、よく考えてほしい。
高野病院が果たしてきた役割は、公的機関が担うべきことだったはず。 だが、福島県や広野町はこれまで何をしたというのだろう?
今回のように民間病院が、公的機関と同じ役割を果たすのなら、そこに税金が投入されるのは妥当だと私は考える。

(画像1)一般・療養病床を有する病院の配置状況

福島県が作成した、浜通りの医療状況を示した図(画像1)をご覧いただきたい。
北の双葉町から楢葉町まですべての病院が休止している中で、いま原発の廃炉作業が行われている。
ボーダーラインになっている広野町の高野病院は、原発や除染の作業員の救急搬送を受け入れてきた。
それまで、救急医療は行なっていなかった高野病院だが、いわき市の共立病院・救命旧センターまで搬送されると患者に負担が大きいとして高野医師は対応してきた。
それは高齢の高野医師にとって、体力的に大きな負担となっていたはずだ。
こうした状態を福島県は知りながら、6年間も放置してきた。無責任極まりない。

「民間も公立も、医療としての役割は同じです。高野病院が、あの地域で唯一の存在であり、住民にとってはかけがえのない存在だから、私たちは絶対に存続させなければならないと思いました」
高野病院を支える会を立ち上げた、南相馬市立病院の外科医・尾崎章彦氏はこう話す。

大熊町の双葉病院と関連施設に入院していた患者50人は、移動中や避難所で亡くなった。
福島県、大熊町、自衛隊の連携ミスで、患者の救出が3日以上放置されたことが、直接の原因だが、 わずか1.5kmにあった県立病院などは、311当日に救出されている。
高野医師の判断は、いつか歴史が評価するだろう。

もうひとつ、高野病院の姿勢を象徴することがある。
昨年から広野町や富岡町などで、診療を再開するクリニックが出てきた。
ただ、訪れるのは地域住民よりも原発関連の作業員とおぼしき姿が目立つ。
地元の医療関係者によると、原発で働く際には被曝状況などを調べる「電離放射線検査」が定期的に必要だという。クリニックはこの検査で賑わっているのだ。 この地域に戻る住民がまだ少ないなかで、これは願ってもない安定収益になる。 だが、高野病院では「電離放射線検査」を行なっていない。
高野医師が地元住民と向き合うことを優先させるため、体力的な負担を増やしたくない、という事務長・己保さんの配慮だった。

高野病院を存続させるため、己保さんは福島県か広野町に譲渡する決意を固めた。 18日、第2回の話合いが行われる予定だ。