歯医者の許されざるパワハラと狂言

「あなたは、この地区の歯科医師会や歯科衛生士会に関係するクリニックで、もう働けないことになりました。今日限りで、ここも辞めてもらいます」

勤務を終えたばかりの歯科衛生士の女性を呼びつけ、クリニックの院長は唐突にこのような通告をした。他のクリニックで新たに仕事をする時は、現在診ている患者を連れていく事は許さないと、付け加えたという。

女性は、パートタイムでこのクリニックに7年間も勤務していた。歯周病の予防と治療に高い専門的知識と技術を持つ認定歯科衛生士として患者から厚い信頼を受け、彼女を指名して3ヶ月ごとのメンテナンスに通う患者が数多くいた。
これは、長年かけて患者との信頼関係を築き上げてきた結果であり、歯科衛生士としてのスキルの高さを示す実績だった。

自分が住んでいる地域の歯科業界から〝追放〟されたことよりも、患者との信頼関係を断ち切られたことに、女性は大きなショックを受けた。
しばらくして、女性の体調に深刻な異変が起きた。
喉が押し潰されるような違和感が続き、何をしても息苦しい状態に陥ってしまった。耳鼻科を受診したところ、喉や呼吸器に異常はない。
医師は、精神的なストレスが原因だろうと診断した。

一方的な解雇通告を受けた理由。
それは、私が小学館新書から今年6月に出版した『やってはいけない歯科治療』にあるという。
クリニックの院長は、女性に対して次のように述べた。

「本の中であなた(女性)は〝まともな歯周治療がされているのは1割程度〟とコメントしている。それが、歯科医師会で大問題となりました。あのコメントによって、この地域の歯周治療が正しく行われていない、という誤解が生じている。だから自分(院長)が、歯科医師会や歯科衛生士会の方々に対してお詫びをしました」

そして、冒頭にあるとおり、女性を解雇して地域の歯科業界から〝追放〟すると告げたのである。

だが、院長の話は整合性を欠いている。
女性は、取材当時やその以前からも、複数の地域で仕事をしていた。〝まともな歯周病治療がされているのは1割程度〟という言葉は、特定の地域を指した訳ではない。
拙著の中で、女性の勤務先や地域名を紹介していないのは、現在の歯科医療における一般論だからである。それに女性のコメントは、長い経験の中で感じた個人的な印象であることを、本文中で断っている。
こうした理由から「クリニックのある地域の歯周病治療を批判した」、と解釈するのは無理がある。
それに〝まともな歯周治療が、ほとんどされていない〟と言う状況は、複数の歯科衛生士から証言を得ており、歯科業界にとっては〝公然の秘密〟と言えるだろう。
地域によって程度差はあるが、こうした実態を伝えることが、拙著を出す目的だった。
(歯周治療のスキルが低い歯科医や歯科衛生士は、〝まともな歯周治療〟を判断することすらできない)

女性からこの話を聞き、私はすぐに院長に電話をかけて面会を求めたが、頑なに拒否された。
コメントの内容は、女性の個人的経験に基づく印象であり、患者の個人情報にも該当していない。突然の解雇や、地域の歯科医師会に関係するクリニックで働けないとする理由としては、妥当性を欠いている。

あえて指摘すると、今回の一件は、憲法で保障された基本的人権の一つ、言論の自由を侵害した問題行動だ。さらに、職業選択の自由は、日本国憲法22条で保障されている「基本的な人権」であり、労働契約法では、勤務態度に問題があるとか、業務命令や職務規律に違反するなど、労働者側に明らかな瑕疵がなければ、雇用主の一存で辞めさせることはできない。
こうした、社会通念に逸脱した対応をする相手には、弁護士を立てて決着をつける方が妥当な判断かもしれない。

ただし、女性は今後も歯科衛生士として、仕事を続けることを希望している。もし、裁判になれば、クリニックの院長や歯科医師会、歯科衛生士会とはあからさまな対立関係になることは必至だ。それは、女性にとって絶対に避けたい状況である。
こうして女性は、担当患者に説明する機会も与えられず、厳しい立場に追い込まれてしまった。

率直に言えば、今回の件は私の不覚だった。
これまでの取材で、歯科医や歯科医師会が、極めて強権的な姿勢で臨む実態を知っていたからである。
歯科治療の本をジャーナリストが出す意義があるとすれば、患者が抱いてきた疑問や、歯科業界の内部にある問題点を明らかにすることだ。そこで、情報の信憑性を担保するために、基本的に実名で取材をお願いした。それでも、地元歯科医師会からの圧力を恐れている数人の方は、匿名扱いにせざるを得なかった。

この女性の場合は、「歯周治療のことを広く知ってもらいたい」という職業的な使命感から、実名で取材に協力してくれた。それに、拙著では歯周病の権威ともいうべき歯科医が、同様のコメントをしている。
だからと言って、今回のような事態を想定できなかったのは、私の判断が甘かったと言わざるを得ない。
対決ではない解決方法はあるか。
女性や新書の担当編集者らと模索した結果、当該地域の歯科医師会に対して、「確認書」を届けることにした。

『一部誤解が生じたことにより、大変に残念な事態となっています。該当するコメント部分に関しては、女性からの申し出を受けて、新書の第4版(本年9月より配布)から修正を行いました。つきましては、女性の処遇、および地位保全に関してご確認をさせていただきたく存じます』(※確認書の冒頭から一部抜粋、女性の部分は個人名を記載)

私は、その歯科医師会・会長のクリニックを訪ね、この文書を手渡した。すると、会長の歯科医には怪訝な表情が浮かび、意外な言葉を口にした。
「一体どういうことですか?私は全然知りませんよ、このような事があったとは…」
とぼけて知らないふりをしている可能性も考えたが、どうも違うらしい。
「彼(院長)は、歯科大の後輩でもありますけど、歯科医師会でこんなことを決める権限はないですよ。歯科医師会であなたの本のことを議題にした記憶もありません。それに、我々は圧力団体じゃなくて、学術団体として活動しています」

 この話が本当なら、院長の一人芝居による「狂言」だったことになる。勝手に理由をこじつけて、女性を辞めさせたかったのだろうか。
〝歯科医師会が学術団体〟という主張には同意できなかったが、この会長の言葉に嘘はないと感じた。
面談を終えて約2時間後、私の携帯に会長から電話がかかってきた。歯科医師会の議事録を調べ、院長にもヒヤリングをしたという。
「本のことを問題にした記録は、ありませんでした。院長(歯科医の個人名)にも電話をして聞きましたけど、そんなことを言った覚えはないと話しています。女性については、フルタイムではなく、非常勤の職員なので、辞めてもらったそうです。はっきり言っておきますが、我々の歯科医師会が、女性に地域で仕事をさせないと決めた事実はありません。ただし、裁判にする気なら協力はできません」(地域の歯科医師会・会長)

非常勤の職員だからといって、突然に解雇しても良いわけではない。「狂言」によって、女性が精神的に追い詰められ、体調を崩してしまった責任も重大だ。
我々の「確認書」に対して、地域の歯科医師会・会長が自ら調べたことには誠意を感じるが、女性に対する謝罪の言葉がなかったのは残念だった。
無論、本当に謝るべきなのは、院長であることはいうまでもない。

これまでの取材では、歯科医によるパワーハラスメントが、歯科衛生士や助手、そして歯科技工士に対して行われているケースを度々耳にした。中には、自殺に追い込まれた人もいる。
こうした歯科業界の実態は、あまり表に出てこなかったが、勇気を持って告発しても女性のように理不尽な仕打ちを受けるからだろう。
だが、こんな状況はもう終わりにしなければならない。
危機感を募らせている歯科関係者は多いし、私にはいつでも事実を明らかにする用意がある。