【川崎登戸殺傷事件】事件現場で感じた報道の役割

事件翌日、多くの花が手向けられていた(C)M.IWASAWA
事件翌日、多くの花が手向けられていた(C)M.IWASAWA

夜明け前、強い雨が降った。
亡くなった父親が倒れていた場所には水溜りができて、灰色の空を映していた。
路上に積まれた数え切れないほどの花と供え物。多くの人が失われた命を悼んでいる。

背後から無言で襲った後、容疑者の男は自分の首に包丁を刺して息絶えた。
「この事件は、見ず知らずの他人を巻き添えにした無理心中」、と精神科医が嬉々としてテレビで解説する。

こうした報道に影響されたのか、ネットでは男に対して「一人で死んでくれ」という言葉が飛び交う。
それは正論だし、私も同じ感情を抱いた。たとえ、容疑者の男が、どんなに悲惨な人生を歩んできたとしても、幼い子供たちを傷つけ、二人の命を奪った免罪符にはならない。

だからと言って、社会から孤立した人間に対して「一人で死んでくれ」と足蹴にすれば、第二、第三の凶行を誘発する可能性もある。
平成に起きた無差別の殺人事件は、「排除の論理」が残した手痛い教訓だったはずだ。

被害を受けた子供たちが通うカリタス小学校の父兄からは、屈強なガードマンをバス停に配置してほしい、という要望がでたという。
だが、両手に包丁を持った男に突然襲われた場合、いくら訓練された人間でも防ぎきれるものではない。

カメラは何を映し出すのか(C)M.IWASAWA
カメラは何を映し出すのか(C)M.IWASAWA

重大事件が起きると、報道各社は現場にヘリを飛ばして中継する。容疑者の顔写真を、どこよりも先に入手するために奔走し、容疑者に関する独自情報を競う。
それは、報道の性(さが)なのだろう。

発生直後は、事実を早く伝えるしかない。
でも、報道の役割は他にもある。
「事件の本質とは何だったのか?」「再発防止のために、何ができるのか?」という視点での丁寧な検証だ。

被害者の人生をたどって死を悼むことは必要だが、数字(視聴率)がとれるからといって、感情に訴えることに終始するのであれば、SNSの発信とそれほど変わらない。
報道の役割とは何か、それを忘れてしまうと、職業としてのメディアは必要なくなる。

理不尽な凶行によって命を絶たれたお二人に、心からお悔やみを申し上げたい。