伊藤精介から託された仕事

伊藤精介
ノンフィクション作家・伊藤精介(C)M.IWASAWA
17年前の9月19日、一人のノンフィクション作家が旅立った。
 伊藤精介、享年52。
 雑誌・ブルータスの元編集者で、「浅草最終出口」、「銀座バーテンダー物語」、「今宵どこかのBARで」などの著書がある。遺作となった「沈黙の殺人者 C型肝炎(小学館)」がきっかけで、私は伊藤と知り合った。

 2000年当時、C型肝炎の患者は約200万人、B型肝炎は約150万人と推定されてた。
「肝炎は国民病」とまで言われながら、感染ルートが不明のままで、患者は偏見や差別に苦しんでいた。過度な飲酒が肝炎の原因、と誤解している人も多かった。
 実際は、血液中の「肝炎ウイルス」の感染によって、C型肝炎やB型肝炎になる。自覚症状がないまま、肝硬変、肝がんへと進行して、死に至る。沈黙の殺人者、といわれる所以だ。

 伊藤精介は、自身がC型肝炎であることを偶然に知り、それまでタブー視されていた「感染ルート」の解明に挑んだ。そして「輸血」「予防接種の連続注射」など、感染ルートの検証を重ねて、一つの確信を得る。
日本の肝炎は〝医原病〟──

 肝炎の感染ルートを解明することは、すなわち日本の医療界や旧厚生省の責任を示すことだった。それを伊藤は丹念に調べ上げて「沈黙の殺人者 C型肝炎」に記した。

 私は、フジテレビのニュースJAPANという報道番組で、伊藤の助言を得ながら「検証C型肝炎」という特集を2001年にスタートさせた。
 これと並行して、伊藤は雑誌「サピオ」や「週刊ポスト」で、肝炎問題をテーマにした連載記事を執筆する。
 翌年、私たちの取材チームは、製薬会社・旧ミドリ十字が製造販売していた、血液製剤・フィブリノゲンにC型肝炎ウイルスが混入していた事実を突き止めた。名古屋市大の溝上雅史教授(当時)と部下だった田中康人医師らが、PCR検査によって科学的に証明したのである。

 フィブリノゲン製剤による感染は、「薬害C型肝炎」事件として社会問題となり、医療問題に取り組む弁護士有志が準備を進めていた集団訴訟へとつながっていく。
 一方、B型肝炎に関しても、集団予防接種の時に注射器を交換せずに連続使用したことが感染原因と、最高裁が判決を出した。
 このように、法的に責任が明確になったことによって、日本の肝炎対策は劇的に進む。

 かつてはC型肝炎を治せる(ウイルスを排除)確率は1割以下だったのが、現在では100%に近い治療薬が開発された。 伊藤精介は、そうした恩恵を受けることなかった。
 そもそも、彼が肝炎問題の真相解明に全力を尽くしたのは、見返りを期待していたのではない。
 生前、彼はこんなことを言っていた。

「病気を治すために、命に関わるC型肝炎ウイルスを移されたわけだから、こんな不条理はない。でも、これからも治療が続くから、肝炎患者は医者を敵に回せない。つまり、世に伝えることができるのは俺たちだけなんだよ」

 今では、告発的な記事を書くと、様々な反発を受けるようになった。中には、スラップ訴訟の類もある。
 まして、医療法や薬機法に違反していると証明するのは、意外に難しい。でも、伊藤精介ならきっとこう言うはずだ。
「他の誰かにできる仕事じゃないだろう。伝えることができるのは、君しかない」

というわけで、墓前で闘いの誓いを立ててきた。彼に胸を張って報告できるように、これからも徹底的に問題を追及していく。

(C)M.IWASAWA