オウムが残した熾火

1960年代に生まれた私たちは「バブル世代」と言われることが多いが、同時に「オウム世代」とも重なる。
小中学生の頃に話題になったのが、「ノストラダムスの大予言」、「コックリさん」、「口裂け女」。
日常生活にオカルト的なものがあり、やがて世界の破滅が訪れる、という不安を当時の私たちは抱いていた。

二十代になると、同級生が未公開株で大儲けした、という類の話を耳にするようになる。
浮かれたバブル時代の片隅で、奇妙なオカルト集団が若者たちを取り込んでいた。その中に、かつての友人がいると知った。
一度だけ、自宅に本人から連絡が来たが、報道関係の仕事をしていたこともあって、返事はしなかった。

オカルト集団は、政治進出に失敗したあたりから、だんだんと先鋭化していく。そして、地下鉄サリン事件が起きた。
麻原彰晃ら幹部が逮捕されても、信者たちは以前と同じように白装束のまま、社会の片隅で生きていた。
私は報道番組のディレクターとして現場を取材するたび、かつての友人と対面したら何と声をかけるべきか、自問した。だが、その機会は訪れなかった。

信者たちは、あの集団に吸い寄せられたのだろうか。
それとも、社会の居場所として自ら選んだのだろうか。
ただ一つ確かなのは、麻原彰晃の荒唐無稽な言葉を信じたのは、あの時代を生きていた同じ世代であることだ。

彼らが、犯した罪を償うのは当然だと思う。
ただし、これまでの慣例を破り、死刑執行をマスコミに予告したのは、違和感が残る。
まるで公開処刑のように、テレビニュースで死刑執行を実況させるためだったのだろうか。

憎悪、差別、偏見、デマを根拠もなく信じる心理。
あの事件が残した熾火は、インターネット社会に引き継がれている気がしてならない。