マネーデータベースが教えてくれた、緩和ケア医の矜持

診察室から、豪快な笑い声が聞こえてきた。
ここを訪れるのは、深刻な状況のがん患者のはず。それなのに、なぜ愉快に笑えるのか……
許可をもらって診察室の中に入ってみると、眼光が鋭い白髪の男性がいた。
二週間に一度の外来で、ゆっくりと進行していく自分の病状を笑いとばす。それが平野治行さんという人だった。

緩和ケアを受けながら仕事を続ける平野治行さん
73歳にして現役の設計士だった平野治行さん(C)M.IWASAWA

2014年、私のチームは、緩和ケア診療所「いっぽ」と萬田緑平医師(現・萬田診療所)を中心に、ドキュメンタリーの取材を開始した。
平野さんは70代になっていたが、食品メーカーの製造機械などを設計する仕事をしている。
大腸がんで手術をしたが、転移していると判り、化学療法(抗がん剤治療)を始めた平野さん。しばらくすると副作用が強く出て、仕事が全く手につかなくなり、化学療法を打ち切ることにした。
だからといって、諦めたわけではない。自分らしく生きるため、「緩和ケア」を選択したのだ。

「仕事があるから生かされている。
 もし仕事を辞めたら、寝たきり老人になってしまうよ」

笑いながら平野さんは話してくれた。

平野さんの悩みは、強いがん性疼痛。仕事中に、容赦無く襲ってくる痛みに耐えきれず、設計図をひく手が止まった。
相談を受けて、萬田医師はモルヒネの「オプソ」という薬を勧めた。

「オプソを上手に使って、ゴルフができるようになった人もいます。一気に増やすと副作用が出るから、ゆっくりオプソの量を増やしていきましょう。そうすれば、平野さんは上級者です(笑)」

モルヒネ=麻薬患者、というイメージは根強くある。
そのため、依存症に対する漠然とした恐れから「オプソ」を敬遠する患者が少なくない。
平野さんは違っていた。「オプソ」の依存症は心配ない、という萬田医師の説明に納得して、服用を始めたのだ。

がん性疼痛を抑えるため、オプソを飲む
時間も場所も選ばず襲ってくる痛みを抑えるため、仕事中もオプソを飲む。
(C)M.IWASAWA

取材中、平野さんが痛みで、体をくの字に曲げたことがある。
すると、引き出しから「オプソ」を取り出して口にくわえた。

「不味いな、これ。水で流し込まないと飲めないんだよ」

スティックタイプの「オプソ」は、ゼリーのようになっている。子供がお菓子と間違って口にしないように、わざと苦くしていると医師から聞いた。
30分ほどで痛みが治まり、平野さんは設計図の作成を再開した。

萬田緑平
訪問診療に切り替えたあとも自宅で設計図を書き続けた。(C)M.IWASAWA

製薬会社が、医師に対して講演や原稿執筆、コンサルティングなどの名目で支払った報酬は、情報公開するルールがある。
ただし、実際には手続きが極めて煩雑で、時間も必要。なるべく見せたくないのだろう。そこで、ワセダクロニクルと医療ガバナンス研究所が、3000時間かけて、誰でも簡単に検索可能にしたのが、マネーデータベース」だ。

私が取材を始めて5年目、あの医師はどうなのか。
検索することにした─

「萬田緑平」の検索結果(0件表示)

独自の緩和ケアで知られる萬田医師は、全国各地から講演の依頼がある。2018年の講演は、実に44回。
その中には、医師会や病院などが主催している講演もある。このような場合、製薬会社が実質的なスポンサーとして、謝礼を出す場合が多いと聞く。そこで、萬田医師に確認してみた。

「外科医だった若い頃から、製薬会社の接待は避けてきました。製薬会社が、講演の謝礼金などをばらまくのは、薬を処方させるのが目的でしょう。その手法には気づいていたから、絶対嫌でした。
だから病院などで製薬会社が絡んでいる謝礼は固辞しています。萬田診療所も、製薬会社が面会出来ないので有名らしいです(笑)」

こうした姿勢は萬田医師らしいなと、私は思う。
もし、「オプソ」の製薬会社から報酬を受けていたら、平野さんは萬田医師の言葉を信じなかったかもしれない。
これが社会通念というべき、一般的な感覚だと思う。

医療用麻薬オプソ
医療用麻薬「オプソ」。がん性疼痛の緩和に用いられている。(C)M.IWASAWA

実は「オプソ」の添付文書の2ページ目には、重大な副作用として「依存性」が記されている。
ただし、極めて深刻な副作用は1ページ目の冒頭に「赤枠」で警告するのがルールだ。それに、適切な処方による「オプソ」で依存は生じない、と言うのが、緩和ケア医のコンセンサスになっている。
このように専門的な知識と情報がなければ、がん医療は適切な判断ができない。(※「オプソ」の投与には様々な条件があるし、個人差も大きい)

主治医の言葉を信じるか、それとも疑うか─
マネーデータベースは、切れ味が鋭い「諸刃の剣」のようだ。

萬田緑平医師を取材する岩澤倫彦
萬田緑平医師へのインタビュー(C)M.IWASAWA

診察室で、平野さんが自分の病状を笑い飛ばしていたのは、萬田医師のこんなツッコミがあったからだ。
「まだ、生きていたんですか?規格外なひとだなあ~」

事情があって中断していた、緩和ケアのドキュメンタリー取材を、そろそろ再開したいと考えている。

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