家族が踏みにじった患者の尊厳

医師で僧侶の田中雅博さんが、すい臓がん末期となり、NHKのスタッフに密着取材を許可するところから番組は始まる。
田中さんは明確にDNAR(延命治療の中止、または拒否)の意向を示し、セデーション(鎮静処置)を希望していた。

だが、医師の妻は徹底して延命をはかる。
「私を眠らせてほしい」とはっきり言う田中さんに対して「薬を使わないのは、あなたが最期だと思っていないからだよ」と受け入れない。 スープを口に流し込み、点滴を打ち続ける。
ようやく、セデーションを開始するも(プロポフォールを使用)途中で切って1日に2回、覚醒させる。苦しむ田中さんをリハビリ台に乗せて「良かったじゃないの、立てて」という。 田中さんにとっては、拷問に等しい行為だ。
そして最期には、心臓マッサージや、アドレナリン投与まで行った(この場面にカメラはいない)と、妻は自嘲気味に語る。

長年連れ添った夫を失うことに、耐え難かった妻の胸中は察する。
だが、これは患者本人の尊厳を踏みにじった、家族のエゴというべき自己愛であり、狂気でしかない。
当初、この番組には「穏やかでない最期」というタイトルが付いていたが、OAが迫ってから変更されていた。
NHKらしい危機管理と推察するが、オリジナルのほうが今回のテーマにあったタイトルだろう。

また、本作はディレクターの一人称語りで「私は〜することにした」という学生の卒業制作のような作りだった。取材者の存在を前面に出すのなら、田中さんから全て撮影して良いと許可を受けながら、なぜ最後の数日間の撮影を中断したのか、(もしくは拒否されたのか)明確にすべきではないか。
田中さんの妻が「あっけなく訪れた、別れの時に諦めきれないように見えた」としながら自分(ディレクター)も同じ思いであると、ナレーションで述べている。つまり、このディレクターは、妻の行動に共感を抱いて本作品を制作したと窺われる。 
取材姿勢には疑問が残るが、この番組をOAしたことは大きな意義がある。
患者本人の尊厳が、家族によって無視されてしまう現実を、田中さんは壮絶な苦しみと穏やかではない最期を迎えることによって、私たちに見せてくれたのだから。 

※追記 番組では、田中さんの診療所で使用している「DNR」で統一していた。 日本救急医学会では、次のような見解を示している。

 『1995年日本救急医学会救命救急法検討委員会から「DNRとは尊厳死の概念に相通じるもので,癌の末期,老衰,救命の可能性がない患者などで,本人または家族の希望で心肺蘇生法(CPR)をおこなわないこと」,「これに基づいて医師が指示する場合をDNR指示(do not resuscitation order)という」との定義が示されている。 (中略) なおAHA Guideline 2000では,DNRが蘇生する可能性が高いのに蘇生治療は施行しないとの印象を持たれ易いとの考えから,attemptを加え,蘇生に成功することがそう多くない中で蘇生のための処置を試みない用語としてDNAR(do not attempt resuscitation)が使用されている』

日本救急医学会